うつだと思ったらADHDだった

大森カモミールのブログです

勝手に薬やめちゃだめだよ。

絶対だめだよ。

 

はい、実は悪いことをしました。

ストラテラが飲み始め2週間くらいはききめがないという情報を聞いて異様に不安になってしまい、薬が効いてるのかどうかがわからなかったので

この休みの間薬をやめました。勝手なことしました。

絶対にまねしないでください。

 

結論からいいますと薬効いてました。

薬が切れていると圧倒的な情緒不安定感。

ちょっとしたことで機嫌が悪くなる。突然悲しくなる。頭の中が色々なことを考えまくって感情が追いつかなくなる。何をしていたのか分からなくなる。そもそもこのブログを書く気もなくなる。

身体の疲労感も倍増してます。ADHDの人って他の人より重力多めに掛かってんの?ってくらい身体が重いです。

 

ストラテラを飲んでいないととても自己中で気分屋で感情的になります。

23年間こんな生き方してたんだ私・・・と凹みました。

 

まあ凹んだ所でどうしようもないのですが。

反省して明日からちゃんと薬飲みます。

依存体質女が承認欲求を拗らせた話①

13歳の時に初恋をしました。

中学の先輩でした。その先輩は習い事が一緒で学校外で仲良しでした。

顔がとにかくタイプでアニメやライトノベルも好きで話しも合うのでとにかく一緒にいて楽しかったのでどんどん好きになりました。

話はできるけど奥手すぎて何もできず、先輩は中学を卒業。習い事では会えていましたが悲しかったです。

 

先輩が卒業してから半年。

先輩が習い事をやめることに。

とても悲しかったし会えなくなったらさらに悲しい…ので、14歳の時はじめてその先輩に告白をしました。

習い事最後の帰り道

 

「あの、、ちょっといいですか?」

「何?」

「実は、先輩のこと好きです。付き合いたいです。」

「マジか。」

「はい。」

 

 

話が終わりました。

 

え、うそやん。うそやん。

付き合いたいって言ったやん?

ごめんなさいもお願いしますもないのか?

 

告白とはなんだったのか。

マジか。の一言でスルーされました。

 

それから1ヶ月後に、先輩の学年で一番可愛い女の先輩のことが好きだということを聞かされ大泣きしました‪⸜(*ˊᵕˋ* )⸝‬

 

振られるどころか遠回しな発言にショック。告白はなかったことになっていたようです。

 

当時の私は自己肯定感0のブスだったので、「ブスだと恋愛なんて出来ないんや…」と、しばらく引きずりました。

 

中学2年の夏には不登校も相成り恋愛なんて一生するもんかとこじらせていました。

 

そこから高校に入学(定時制のようなところです)

メガネをコンタクトレンズにするようなちゃっちい高校デビューを引っさげいざ入学しました。

 

「1年生?可愛いね」

「えっ。」

 

なぜかとてもチヤホヤされました。

人生で3回来ると言われているモテ期だったのでしょうか。

入学してすぐ、4人の男性から告白されお付き合いはしなかったけれど私は

 

「あ、私可愛いんや。」

 

と見事に勘違いし、承認欲求の化物としての1歩を踏み出したのでした。

年一の女子力

f:id:oh_mori:20190213203050j:image

バレンタインですね。

いや、丼しか入れるもの無かったのでめっちゃミスマッチですが。

 

Twitterにも書いたんですけど、発達持ちのひとで料理はなんとかなってもお菓子作り苦手な人いません?私本当に苦手なんです。

とにかくピッタリ量を計らないといけないじゃないですか。

まず無理なんです。なんか知らないけど、工程通り物事を進めるのが苦手なんです。

おかげでお菓子作りはだいたい失敗です。

このクッキーは昔から作ってるからできるバターなしのプチプラクッキーです。

ガトーショコラにもチャレンジしたので彼氏にはそれをあげようと思ってるのですが、明日味見して不味かったらクッキーあげます。保険です。

 

 

はい。

雛祭りは3月の行事だけど3月3日なので2月中に準備しないといけない。

↑これ、凄く混乱する。でも準備してます。

 

今日はストラテラ15日目。動悸や吐き気はほぼなく、仕事にも支障ありませんでした。

ひたすら雛祭りのお製作の準備をしていました。扇とか杓とか作ってました。

そして仕事の後は病院に。

独り言が増えたことを一応伝えましたが様子見。しばらくストラテラ1錠と吐き気止めを続けることに。次の受診は1ヶ月後。効果がもっと出てくるといいな。

 

病院の後に急きょ美容院を予約して美容院に行ってきました。

髪色が落ち着いていい感じです。ご機嫌。

 

その後行った薬局が凄く混んでいて1時間以上待ったので座り疲れしたので

今日は早く寝ようと思います。

ストラテラ14日目

 実は昨日飲み忘れました。

なので14日目でふ。

三連休は中日だけ、家族全員機嫌がよかったので楽しく過ごせました。

天気悪い日は発達家族の敵です。

明日から仕事再開ですが、実は金曜に有給を使うので今週の出勤は3日です。嬉しい。

頑張っていこうと思います。

限界来て休職したけど3カ月で職場復帰した話⑤+まとめ

 

oh-mori-chamomile.hatenablog.com

 

10月頭。

5時半に起き出勤時間30分前に職場に到着。

しかしまだ誰もいなかったので鍵の開け方が分からず職場の前を右往左往していた。

15分前に園長先生が到着。

「おはようございます。大森でs「あああー!カモミール先生だ!おはようございます。すいませんね。お待たせしてしまって、ここの鍵なんですけどここがこうでこう開きます(ガチャ)どうぞ中で話しましょう。」

・・・

世のなかのおばちゃんは基本的にこちらが話し終わる前に話をはじめてくれる。

一通り保育室の中を説明してもらい、子供が来る前に掃除を終わらせ、職員室で画用紙を切っていた。他の先生が出勤してくるたびに事情を説明していたけどよくよく考えたら本社の人が説明済みだったので挨拶だけでよかった。

初日は2時間だけの出勤。そこで気付く。「あれ、子供の声煩くない。」

子供は泣いてるし遊んでるし職員室だって離れてるわけではないのに

休職前に感じた自分の中の恐ろしい感情が湧きあがってこなかった。

大丈夫だったころのように子供の声を聞くことができた。

 

それに気付いて泣いた。

 

カモミール先生時間でsカモミール先生!!!!?」

 

おばちゃんというのは声がでかい(私が泣いてたせいです)

 

園にいれた。これがとにかく自信になった。

そこから1カ月は週3日の2、3時間出勤。

時々保育室で片づけを手伝ったりと現場にも数分ずつ進出して

一か月ごとに週3→週4→週5→時間1時間+と、

現在2月では週5日、3,4時間。週2日は保育に入ることもできるようになっている。

ただ、あくまで私は保育補助で、職員+1の扱いで仕事に入っている。

言ってしまえば「いなくてもなんとかなる」人だ。

だがこのいなくてもなんとかいい。つまり休んでもいいという扱いが私のメンタルをとても楽にしてくれている。

今思うとダメになるまでは「担任だから」「私がいないと回らない」「私がやらないと」と考えすぎ、体調不良を感じても「休んじゃだめだ」という思いからより苦しくなっていた。

久々の保育の現場に、風邪を貰って休んでしまったことはあるが、心のストレスで休んだことは復帰してからまだない。3月からは職員1扱いの、4時間で働くことを安定させたい。そして今年の下旬には正職に戻れるといいなとおもっている。

先のことを考えすぎるとダメになるタイプなので、

今の目標は1扱いと4時間働くこと。

 

この休職を機会に、ADHDという新たな自分の問題も発見した。

おそらく一生付き合っていかなくてはならないし、改善しなければまたダメになってしまう。そう感じ、時間を増やし安定させる3月。新たな子供が入ってくる4月の前に対策としてストラテラを開始した。

ADHDを診断された時のこと。

いままでの心当たりなどはまた改めて書こうと思う。

 

まとめ

 

私が3カ月で復帰できた理由は

・自分がダメになると気付き、休むことを選択できた

心療内科を受診するという選択肢を知っていた

・自分が本当に仕事(保育士)をやりたいと思えるまで休んだ

・スモールステップで職場に戻った

だと思っている。

(8時間正社員に戻っていないと復帰したといわないとしたらすいません)

勿論休ませてくれと言ってすぐに休ませてくれた職場や支えてくれた家族友人。スモールステップの復職に協力してくれた会社と、私は恵まれていたと思う。おそらく休職をするに至る人は私よりも症状が悪化してからだと思う。

ただ、②に書いたとおり私が育ってきた環境は少々荒れていて、10代のころに精神的に追い込まれた人間をかなりみていたので「身体が動かなくなってからじゃ遅い」「癇癪を起してからじゃ遅い」という意識が働き、これまた環境のせい?お陰?で心療内科というものがどういう病院なのかを知っていたので、抵抗なく行くことができた。今でも抵抗のある人や、知らない人がいるかもしれないので、このブログをきっかけに頭の隅にでも心療内科の存在は知っておいてもらえるとダメになった時に行けるかもしれない。

その結果私は3カ月でストレスから離れ、心を癒し、冷静に今の仕事を続けたいかを考えることもできた。結果として私は保育士をしたいという結論に至り復職したが、もしももうやりたくないという結論が出たら、退職して転職。という選択肢もあっただろう。

復職を決めて1番に思ったことが「絶対8時間も働けない。」むしろ「働かなきゃ・・・」と思ったらまたダメになる。という自覚があり、数時間からという選択をとれたこともよかった。お医者さんからの指導でも少しずつ始めろと言われていたがこれに関しては我儘を沢山聞いてもらっている職場に感謝が尽きない。

 

休職経験者の中では当たり前だったのかもしれないけど、

社会人2年目のひよっこの経験としてはかなりの大冒険な3カ月だった。

1年目がつらいなんて当たり前だ・・・鬱なんていえない・・・

2年目でこれから後輩もできるんだからしっかりしなきゃ・・・

と思ってる社会人の人に次ぐ。無理すると死ぬけど仕事休んでも死なないよ。