気がついた(ストラテラ12日目)
ストラテラを飲むようになってから、独り言が増えている。
元々頭の中でいろんなことを考えたり、昔のことを思い出したりしていることは多かったのですが、
「あの時恥ずかしかったー!」
とか
「いやー!痛い!」
とか
「ふざけんなよもー!」
とか
「それは爆笑!」
とか
口に出ちゃう。道でも職場でも出ちゃう。
めっちゃ恥ずかしい。
一昨日はでかい犬がいて
「い、いぬぅ!!!犬がいる!」
って普通に喋ってしまった。
飼い主さんいて見られてめちゃくちゃ恥ずかしかったので
「カラスカラス♪」
と別のものを声に出して言い、誤魔化した(誤魔化せてない)
これは副作用…?なの?
火曜日に病院に行くので聞いてみます。
空腹(ストラテラ11日目)
朝ご飯が食べられず、腹にカフェイン飲料だけ入った状態で服薬しました。
まあ気持ち悪くなりますよね。
室内作業の多い日で助かったけど、明日はちゃんと食べよう…
限界来て休職したけど3カ月で職場復帰した話④
oh-mori-chamomile.hatenablog.com
通勤訓練初日
8時半に起きました。
いや、無理だと思ってた。
2か月も自由に生きてれば7時起きとか無理だった。
なんとなく自分で予想は付いていたが目覚ましを華麗にスルーしていた。
この時思ったことは「去年~6月までの私偉すぎる」
遅くても7時、早い日は5時に起きて仕事の準備して家を出てたんだから。
もう1年頑張ったら半年休んでいいことにしてほしい。
ぶーぶー文句を言いつつも起きて、着替えて、散歩をしに行った。
電車に乗るのは心が折れたから割愛。
音楽を聴きながらふらふらと散歩をして、普通の休日状態だった。
ただ午前中から動くというだけで十分なリハビリだった気がする。
帰って夕方昼寝をした。
寝るつもりはなかったがとにかく身体がひきこもりのそれになっていることを実感。
徐々に徐々にだが通勤訓練もとい活動訓練にはいった。
人間の身体は適応しやすいもので1週間後には7時起きは苦しくなくなってきた。
相変わらず散歩して、たまにジムに行ったり、図書館に行ったりと過ごしていた。
電車にも満員の時間はさけながら乗る練習をしていた。
9月2週目頃、本社に赴き作戦会議をはじめた。
保育士に戻りたい
とはいったものの、
子供にあたりそうになったあの感情の動きがトラウマだったので
いきなり保育に戻る!というのは怖い・・・
担任は外れ、フリーとして入ることに。
まずは「現場に行って、落ち着いて過ごす。」を目標に、
園についたら職員用の部屋で雑務をすることから始めようという話に落ち着いた。
出勤は週3日。系列園の中から自宅から一番近い園に行ってみることに。
配属されていた園には戻れる気がしなかった。
病院でもOKを出してもらえたが、最悪のタイミングで処方されていた安定剤
リスパダールが副作用を起こし服用をやめることに。
不安は残ったが9月は全力で体調を整え、
10月。晴れて休職を解除。3カ月ぶりに出勤した。
ストラテラ10日目で健康診断
気圧に押しつぶされつつも仕事は問題なく出来ました。
単純作業を1時間くらい延々とやるのは嫌いじゃありません。
今日は午前中働いてから午後健康診断に行きました。問診票に薬のことは一応書きましたが特に聞かれることなく無事終えました。
…去年c判定だったけど大丈夫かなあ…
限界来て休職したけど3カ月で職場復帰した話③
oh-mori-chamomile.hatenablog.com
心療内科の問診票には
ー突然涙が出る。大きな音が怖い。急に不安になる。ー
と書いた。
「子供に手を出しそうになりました。怖くて仕事にいけません。」
と訴えたところ。先生は
「休みましょうか」
と、軽く答え抑うつ状態の診断書を書いてくれた。
こんなにアッサリ休めちゃうの?と思い拍子抜けしたが職場に提出した。
いざ休むとなると不安になってきたので、
次の通院ですぐに戻れないかと聞いたが今は休みましょう。
と溜息をつかれリスパダールを処方された。
精神病が嫌いな父には嫌な顔をされたが
子供に手をあげそうになったからと説明したら、
私が先生という仕事をしていることを誇ってくれている父は
「戻れるように頑張りなさい。」といって干渉してくることはなかった。
その結果。
7月~9月休職することになったのだが、
7月の記憶があまりない。
とにかく毎日寝ていた気がする。あー私疲れてたんだなあ。
と思いながらひたすら眠っていた。
8月は恋人に「仕事を休んでる」と伝えると「いいんじゃない?」
と笑ってくれた。「休んでて大丈夫かな。」と相談すると「大丈夫だよ。」と言ってくれた。江ノ島に小旅行に行ったり、美味しいものを食べさせてくれたりと、楽しいところに沢山連れて行ってくれた恋人には感謝が尽きない。
折角休むことができたのに「働かなきゃ・・・」と焦る私を「今は休もう。」と朗らかになだめてくれた。
恋人だけでなく私の周りの友人たちも「休職した。」と伝えても「あらそう。」と、同情も注意も心配もなく当たり前のように受け入れてくれた。
年上の友人が多く私よりも社会経験の長い友人たちは
「生きてるだけで勝ち組!」と遊びに連れ出してくれたり、次のステージの打ち合わせを始めたりと充実した生活をさせてくれた。
「知ってたけど、仕事休んだくらいじゃ死なないんだなあ。」
と改めて実感した。唯一の後悔はストレス発散の為に遊びほおけ、
一年かけて貯めた70万円をほとんど使い果たしてしまったことである。
いや、マジで。お金の管理苦手な人はマジで気をつけて。
そんなふらふらと休んでいたある日、9月の頭頃。
「保育士やりたい」
と、思い本社に電話をかけた。
「とりあえずお医者さんと相談しよう。」
と言う話になり、病院で復職意向を伝えると
「じゃあ毎日同じ時間に起きて、仕事の時間に家を出て、仕事の時間に帰ってくる生活を始めましょう。」
当たり前のことなんだけど「えー・・・」と思ってしまった。
そもそも電車が苦手な私は通勤が苦痛だし、
さらに8時間もどこで時間をつぶせばいいのか。。。
「ちょっとずつでもいいですか?」
「いいですよ。」
そう言われたので取り合えず毎日7時に起き、8時に家を出て、1駅だけ電車に乗って、戻って来て散歩をして帰るという生活をはじめた。